多摩川決壊跡(追記) @狛江

先日upした、正月の狛江散歩写真に出た、多摩川決壊の記念碑に関連して、当時の記録を集めた。
自分は直接は見なかった(コドモ小学生には危険との事で見せて貰えなかった)が、大変な事になっている様子や、堰堤爆破の音は良く覚えている。

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狛江市 http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/28,336,138,60,html

実は、狛江を削った流れが向きを変えて川崎市側に向かっているが、この正面延長上に住んでいた次第。現場を見に行った父親の話では、川崎側も堤防が削られ始めており、相当の緊急防護工事をしていたらしい。家が流される光景の衝撃で、狛江市の記録しか無いが、実は、川崎市も相当に苦労していた。

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国交省・京浜河川事務所 http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/tama/know/property/10_3.htm


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川崎市多摩区 http://www.city.kawasaki.jp/71/71tama/home/shinchaku/2009nendo/bousaifair.html


ところで、地図や航空写真では、決壊箇所近くに、まるで、決壊の跡を示すような湾曲した道筋がある事に気付く。

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しかし、この道は、単に多摩川の流路跡と自然堤防に沿った古くからある道である。
注目すべきは、その道の奥側にいくつか残る沼地である。
現在は住宅地になっているが、元々は河道である。

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見方によっては、多摩川は、昔の河道に戻ろうとしただけであったのかも知れない。
以前書いたが、関東平野の左下、多摩丘陵から入間狭山までは、青梅から出た多摩川の縄張りである。
人間様が居なければ、好き勝手に流れても、誰も文句は言わないのである。

以上 2010/03/29


2010/07/17 追記。
上記引用した京浜河川事務所の頁をふらふらして、追加情報をみつけた。

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かつて自然の遊水地となっていた箇所が埋め立てられ、住宅が建ち並」んだと書いてあり、やはり、多摩川は自分の縄張りの中で、ちょっと動いてみただけ であった。

しかし、久地円筒分水 の設計者が、狛江決壊の時まで生きていたとは、少し驚いた。




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